江利チエミという日本一上手いジャズ歌手がいた。
小学生の頃から、一家を支えるために米軍キャンプに出向きジャズを歌っていたが、歌がうまかったから米兵に可愛がられた。
幼い頃から苦労の連続だったが、江利チエミは米軍キャンでテネシーワルツのレコードを米兵からプレゼントされた。テネシーワルツは生涯の決め歌となった。
コロンビアレコードとかテイチクとか各社のオーディションを受けたが全部落ちた。
最後のキングレコードだけに専属にしてもらい、美空ひばりとは違うジャズを歌っていたからすぐにレコージング出来た、
メジャー・デビュー曲テネシーワルツを聞いてみよう。この時、江利チエミ15歳だった。
・江利チエミを当時の評論家は英語はうまいが日本語になると少し落ちると言っていた。
(私から言わせれば、米軍キャンプでジャズを歌っていたからあたり前田のクラッカーです。)
・美空ひばりは子どもっぽいが、江利チエミはドレスで胸の膨らみを強調している。
(アメリカの大人のジャズを歌うのに、子供っぽい衣装を着るのか?)
江利チエミ15歳の時のデビューSPレコード。
幼さが残る歌い方だがテネシーワルツでデビューできたのが江利チエミは幸せだった。
当時の一番手は、生涯の友、美空ひばりだった。
円熟期のテネシーワルツ
江利チエミサンの歌で好きな曲が二曲ある。
聴いてみよう。
Carioca(江利チエミ)
原信夫&シャープ&フラッツ 江利チエミ
江利チエミの幸せな日は少なかった。
高倉健に請われて結婚したが不幸が続いた。
3人の兄はチエミの存命中に2人が亡くなり、高倉健との間に授かった赤ちゃんも妊娠中毒のため中絶。チエミの甥が電車事故死。
1968年にはポリープによる声帯の手術。1970年の1月には邸宅を火災で焼失する、
自己破産せずに借金は払うと、異父姉がつくった2億とも4億とも言える莫大な金額を完済した。
チエミが高倉健に迷惑をかけないために離婚に踏み切ったのに、高倉健はチエミを突き放した。
後日、映画「ポッポヤ」でテネシーワルツを流し世間は高倉健の未だに変わらぬ愛を称賛したが、愛があるなら夫婦力を合わせて困難を乗り越えるはず。藤田まことも奥さんが作った莫大な借金を離婚することなく、完済した。
酒場にてが大ヒットしたから完済できた。
高倉健と別れたチエミは寂しさを紛らわすためアルコールに走っていた。
これから幸せな人生が待っているはずだったが、1982年(昭和57年)2月13日午後、チエミは自宅マンション寝室のベッド上でうつ伏せの状態で吐いて倒れているのをマネージャーに発見されたが、既に呼吸・心音とも反応がなく、死亡が確認された。
45歳で死去。
死因は脳卒中と、睡眠のために飲んだ牛乳割りのお酒とつまみヲ吐き気管に詰まってだった。チエミは数日前から風邪を引き体調が悪かったところにウイスキーの牛乳割りをあおり、加えて暖房をつけたまま風邪薬を飲んで寝入ったことが一因とも言われている。
あまりにも突然過ぎる死に、親友だった「三人娘」の美空ひばりと雪村いづみなど葬儀の席でも深い悲しみに暮れていた。
テレビドラマで当たり役が「サザエさん」だ。
一回目の録画がある。
第1回 実写版 サザエさん / 江利チエミ
漫画の中から抜けだしてきたような江利チエミの「サザエさん」第二作。大事な顔合わせの席上で彼女はまたも大失敗──!?今回はマスオさんとの縁談話がメイン。お隣の伊佐坂先生一家もご登場。
長谷川町子の人気漫画を映画化。江利チエミが、そそっかしいがいつも陽気な「サザエさん」に扮して主演、役柄と個性がマッチして好評を得た。一作目ではマスオさんとの出逢いを中心に物語が展開。
江利チエミを助けた大ヒット曲酒場にて