チャップリンの生い立ちは複雑です
ロンドンの貧しい地区で寄席芸人として生計を立てていた両親の間に生まれたチャップリン。
1歳のときに両親が離婚し父親はアルコール依存症で死去。
母親も精神に異常をきたして施設に収容されます。
幼い頃から孤児院、貧民院を転々とし、どん底生活を強いられたチャップリンは生きるため様々な職業に就きます。
俳優斡旋所に通いパントマイム劇などを演じて暮らしていましたが、1908年頃から若手スターとして活躍するようになり、1918年にはハリウッドのみならず世界的な名優となります。
しかし、第2次世界大戦後の冷戦を背景に、アメリカではチャップリンの作風は容共的であると非難され、1947年の作品『殺人狂時代』以降、彼に対する非難は最高潮に達します。
1分で映画紹介「殺人狂時代」
Charlie Chaplin – Monsieur Verdoux (Trailer)
1950年代には赤狩りを進めるアメリカ下院非米活動調査委員会から何度も召喚命令を受けています。
チャップリン・ファンが見て納得のオマージュが随所に見られる
チャップリン・ファンが見て納得のオマージュが随所に見られる。
そもそも、『モダン・タイムス』の掘建て小屋のような家に住み、『給料日』のチャップリンのように高い所で作業をする本作の主人公は、そのままチャップリン作品に出てきそうな人物でもある。
淀川長治 解説「モダン・タイムズ」
Chaplin Modern Times ‘non-sense song’
Charles Chaplin 映画「モダン・タイムス」 スマイル ” Smile ” from Modern Times
エディが誘拐計画を話すところで、口論の様子をサイレントで描く秀逸なシーンは、監督一流のサイレント映画はご存知のように、資本主義社会と機械文明を痛烈に風刺した作品で、音楽は別に演奏される「サイレント映画」です。
彼自身がメロディを書きましたが、オーケストラ編曲版は友人であるデイヴィッド・ラクシンに委ねました(ラクシンも、この編曲の成功が足がかりとなり、以降多くの)映画音楽にはほぼ必ず長めのヴァイオリン・ソロがあり、それは見紛うことなきチャップリンの特徴に満ちた音楽となっています。
チャップリンは1929年にインタビューで「トーキー映画はサイレント映画の偉大な美しさを破壊している」と述べましたが、その後「街の灯」(1931年)以降の彼の映画音楽はすべて自分で作曲するようになったのは、音楽で映画をコントロールできる喜びを知ったからでした。
「街の灯」は盲目の花売り娘から花を買い、娘の目の手術代を稼ぐのにボクシングをやったりして必死に稼いだお金で娘の目を見えるようにしてあげるのですが、娘はチャップリンの顔がわからないのです。
再会した時の感動がぐっとこみあげてくる場面は最高ですね。
街の灯 チャールズ・チャップリン Charles Chaplin / City Lights
スタンリー・ブラックとロンドンフィルハーモニー
ライムライト / スタンリー・ブラック
スマイル(チャップリン) /ナット・キング・コール(訳詞付き)