美空ひばり以来の天才少女と絶賛され大活躍をした江利チエミです

歌手

高倉健と江利チエミとの家庭に不幸の影が忍び寄ってきました

高倉健が江利チエミがにベタ惚れしたことから始まります。しかし、江利チエミは高倉健の恋心に気付きません。

気づいてから、江利チエミは自分の芸能界の母というべき存在だった「清川虹子」に相談します。

異父姉が数億円の借金をつくり、結婚していた江利チエミが

これ以上健さんに迷惑をかけるわけにはいかないと離婚したばかりの時、

チエミから電話がかかってきたところに居合わせたという。

相談を受けた「清川虹子」は、高倉健に「江利チエミちゃんのこと、なんとかしてあげなさいよ」と、言い、そこから交際へと至ります。

3年の恋愛期間を経て、が高倉健が江利チエミを押し切る形で、結婚まで結びつけました。

高倉健との間に子供を授かりますが、重度の妊娠高血圧症候群を発症。江利チエミとしての代表作「サザエさん」のように子宝には恵まれませんでした。

また、改めて高倉健の家族、妻・江利チエミとの結婚生活、高倉健の自宅の場所はどこか?
そんな風にプライベートに興味を持つ人も増えているようですね。

高倉健の江利チエミの不本意な離婚はとても気の毒に思えた。

お金がありすぎるとそれを悪用する人に付け込まれ、普通の幸せが壊されていくのを地でいく様な話。

そして筆者も取材で明らかにできなかった養女の事実が、小説でもなかなか無いような謎に満ちている。

本人のインタビューではないので彼自身が何を考えていたかはまるでわからず、ただ、高倉健の人間関係がざっとわかった次第。

高倉健関連の本は少しずつ読んでいるが、森 功はノンフィクションライターで、特に高倉健のファンというわけではないので、他の本のようにただ高倉健を讃えるタッチになってないのが好感が持てる。

プライベートにも踏み込んで都合の悪いことも書いている。

高校時代から暴れん坊で、明治大学も親の伝で入る。

しかし講義には出ずに酒とケンカの放蕩の生活をおくる。

「明治の小田(本名)」として有名だったとか。

就職先もなくしょうがなく俳優になる。

ヤクザの家に泊まっていたこともあって、以後もヤクザとの付き合いも深い。

一般人と別け隔てすることをしなかった。

女性との交際も多く、児島美ゆきとしばらく同棲しているなんて知らなかった。

江利チエミとの破局は有名だが、異父姉が復讐のために二人に近づき、家に入り込み、兄を追い出し二人の仲を裂いていく。

そのための「復讐ノート」なるものも作っていた。おなじみの話だが心が痛む。

晩年、高倉健が小田貴という人を養女にしたのだが、この人が高倉健の死後異常な行動に出る話は驚くばかりだ。

勝手に密葬して葬儀は行わず、遺骨を親戚にも渡さない。一般の人が高倉健の墓参りをしたいと思っても墓がない。

ありがちな遺産相続争いかと思ったら、高倉健の住居、車、クルーザー、江利チエミとの水子の墓までも、いっさいを短期間に処分している。

いずれも使えるものばかりで、高倉健が使ったものと言えばさらに高く売れるのに解体している。

なので金目当てでもない。

高倉健という痕跡を消し去ろうというような行動だ。

筆者はそれについて「瞋恚(しんい)の炎」という言葉を使ってる。

知らない言葉で辞書をひくと「燃え上がる炎のような激しい怒り・憎しみ、または恨み。」とある。

瞋恚の正体は分からないが、10年以上一緒にいたのに、高倉健の心の中にあるのは江利チエミだけだったというようなことではないかと筆者は推測している。

これだけ多くの人に愛された俳優の一番側にいた人が彼を一番憎んていた人というのはなんという悲劇なんだろう。

どこか江利チエミの異父姉とダブルところがある。

人間ってなんと邪悪で残酷な存在だろうかと思う。

通常の伝記かと思って読んだら、かなりの違和感があった。

江利チエミと結婚していた時期にチエミの異父姉(本当にそうなのかも実ははっきりしない)が家に入り込んで、それまで貧しく過ごしていた恨みを晴らすかのようにマネージャーを務めていたチエミの兄に女をあてがって結婚させ追い出し、高倉・チエミの稼ぎをどんどん使い込んでいくあたりはほとんど楳図かずおかと思うような不気味さ。

週刊誌を騒がせた晩年の養女の騒動も似たところがあって、親戚が誰も知らない間にいつの間にか養女になって遺産を継いだばかりか、遺された車やクルーザーをオークションにかければずっと高く処分できるのをとにかく金に換えるのを優先させたように売り払い、信心深かったという高倉の墓も作っていないというあたり、ひどく気味悪い。

Amazonの星取でひどく不評が目立つのも、そういう違和感のせいだろう。

そして結局使い込んだらしき相手がどうなったのか、どういうつもりだったのかわからないままというのはひどくもやもやした気分になる。

高倉の父親が朝ドラ「花子とアン」で有名になった炭鉱王伊藤伝右衛門の所有する炭鉱で監督を務めていたとは知らなかった。

美空ひばり以来の天才少女と絶賛され大活躍をした江利チエミです。1952年に「テネシーワルツ」でデビューした江利チエミ、この曲は江利チエミ最大のヒット曲です。

ゲスト出演した、映画での共演がきっかけとなり高倉健と結婚しました。

一時、江利チエミは芸能活動から離れます。ですが、すぐに復帰します。

高倉健と江利チエミとの家庭に不幸の影が忍び寄ってきました。

などと発言し、江利チエミさんをかばい続けたと言います。

彼女の「奇行」が週刊誌で報じられるようになる。

生前、死んだらここへ入ると高倉がいっていた鎌倉霊園の墓地を更地にしてしまった。

ここには結婚していた江利チエミがはらんだが、事情があって産めなかった水子墓もあった。

高倉健と江利チエミの離婚の真相は何ですか。
高倉健は冷たい男だと思いました。

高倉健を愛してるが故に離婚するしかなかった江利チエミと愛しているのに離れるしかなかった高倉健としての生きざま。

今頃、天国で喧嘩していることでしょう。

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