オードリーヘップバーン
オードリーヘップバーンは、1929年の世界大恐慌時代に生まれ、幼少期に経験した父親による離婚という裏切りにあい、母親に育てられました。
ナチス占領下のオランダという過酷な環境で育ったオードリー、は過去のトラウマと一生涯向き合わねばならなかった。
悪いことにオードリーヘップバーンは背が伸びすぎたために、バレエダンサーになるという夢を諦めなければならなかった。
1939年、第二次世界対戦が始まったとき、オランダへ移住します。
オランダもナチス・ドイツに占領されますが、オードリーヘップバーンはレジスタン運動に参加していました。
戦争が終わったとき、20歳になっていたオードリーヘップバーンは、1952年に
映画「モンテカルトへ行こう」のロケ中に見いだされブロードウエイミュージカルの
「ジジ」の主役に選ばれました。
以後、チャンスが彼女に回ってきたのです。
映画『ローマの休日』から、彼女は輝かしい映画女優として活躍します。
明石家さんまの「ローマの休日」
ロシアの文豪であるレオ・トルストイの名作を映画化した作品です。
オードリー・ヘップバーンが演じるのはロストフ伯爵の娘であるナターシャ。
19世紀初頭のモスクワを舞台に、戦争や財産などが絡む貴族の恋愛劇を描いています。
戦争と平和予告編
Immortal Movie Trailer『 戦争と平和(War and Peace)
ヘップバーンの映画はいろいろあるが私が一番面白かったのは
「暗くなるまで待って」だ。
麻薬の売人に預けられていたヘロインを売人が取り返しに来る。
ヘップバーンは目が見えない。
暗闇になれば逃げ切れると思い、岩中の電気を片っ端から割っていく。
売人との死闘が暗闇の中で始まる。
Wait Until Dark (1967) Official Trailer – Audrey Hepburn, Alan Arkin Movie HD
オードリーヘップバーンの映画の挿入歌で記憶に残っているのは「シャレード」だ。
シャレード(映画)/ アンディ・ウィリアムス Andy Williams / Charade
ムーンリバーではオードリーヘップバーンが自ら歌っている。
ムーン・リバー by オードリー・ヘップバーン
オードリーヘップバーンが結婚したと聞き、寂しくなった。
お相手の男の顔を見て力が抜けた。
写真を見たが、パッとしない男だ。
最初の夫:メル・ファーラー // 1954年結婚・1968年離婚(子供1人)
当時、メル・ファーラーなんか名前も知らなかった。
映画「風と共に去りぬ」を見て驚き桃の木山椒の木だ。
どうやら接点は「戦争と平和」だろう。
メル・ファーラーが相手役とは、今日見て驚いた。
大好きな「哀愁」のヴィヴィアン・リーが、クラーク・ゲイブルを振ってまで恋い焦がれた男が、なんとメルファーラだった。
「 風と共に去りぬ タラのテーマ Gone with the Wind Tara’s Theme」
映画「ハイヌーン」のグレース・ケリーも好きだったが二人とも若くしてこの世から消えた。
オードリーヘップバーンは2回の離婚を繰り返して愛に破れていくが、
育児のために女優業を休業するなど、子供達への深い愛情を注いでいく。
そして後年、ユニセフ国際親善大使として自身の名声を善のために尽くすことで、
ようやく心穏やかに過ごす方法を見出した。
最初は戦争の犠牲者として動き出した人生を、のちには慈善活動を通して大勢の人たちに癒しと救済をもたらしたことで、オードリーは自分の力で満ち足りた人生を送ることができたのだった。
本作では貴重なアーカイブ映像、リチャード・ドレイファスやピーター・ボクダノヴィッチ監督ら俳優時代の仲間、そして息子や孫、家族ぐるみの友人など、プライベートに迫るインタビュー映像をふんだんに盛り込み、愛情と寛容の力の証として存在する、極めて特別なひとりの女性を鮮やかにスクリーンによみがえらせる。
オードリーヘップバーンは盲腸から転移した腫瘍で、
グレース・ケリーは自動車事故で亡くなった。
まさに美人薄命を自で行った二人だ。
High Society – True Love
オードリー・ヘプバーンは『ローマの休日』で主演女優として大抜擢、初の主演作で24歳にしてアカデミー賞主演女優賞を受賞し、世界で最も称賛を浴びる偉大なミューズとなった。
一世代に一人と言われた圧倒的な美貌、そしてハリウッド黄金期の伝説的スターと称されたオードリー。
そして、彼女の独自の流儀やライフスタイルは今も人々にインスピレーションを与え続けている。
そんなオードリー・ヘプバーンは、本当はどういった人物だったのだろうか?
オードリー・ヘップバーンの出演作の中でもとくに有名な作品です。
ニューヨークで奔放な生活を送る、オードリー・ヘップバーン演じるホリーのアパートに、作家志望の青年ポールが引っ越してきます。
「何度も地獄を見たけれど、そのたびに抜け出せた。
助けが来たり、何かが起こる」とオードリー自身も述べているとおり、
苦難も多かった分、彼女の人生には多くの〈ギフト〉がちりばめられていました。
「昼下がりの情事」は、パリを舞台に描かれたロマンティックコメディです。
オードリー・ヘップバーンが演じるのは、父親が私立探偵をしているアリアーヌ。
仕事は次々と舞い込み、名声は高まる一方。しかし2度にわたる結婚、離婚のなかで2児を育てるなど、オードリーのプライベートは苦難の連続でした。
Frank Chacksfield 映画「昼下がりの情事」 魅惑のワルツ Fascination
こうした人生経験を経て、晩年、オードリーは友人で俳優のサム・レヴェンソンが孫娘に宛てて書いた手紙を詩の形式で書き直し、「ときの試練で磨かれる美」とタイトルをつけて愛読していました。その詩がこちらです。
華奢なボディにフィットするジバンシィのリトルブラックドレス(LBD)に、「ヘップバーンハット」と呼ばれた、極太のリボンが付いた大きなハット。
名作『ティファニーで朝食を』から生まれたオードリーのシグネチャースタイルは、大人の女性を魅力的に見せるLBDの威力を証明しました。
恋人ウォルダースから「きみのいままでの人生は、この仕事(=ユニセフでの活動)ができるかどうかのオーディションだったんだ。
そろそろ正式なものにしたらどうだい?」と背中を押されたオードリーは、ユニセフの申し出を快諾。
視察から戻ると、オードリーは自分の目で見てきたことを米国議会で証言したり、
世界71カ国の首脳が参加した「世界子どもサミット」へ参加したり、
さらには報告書「世界の子どもたちの現状」の発表、
ダニー・ケイ国際児童賞授賞式の主催、募金カードのデザイン、
慈善コンサートツアーへの参加などを通じて、
世界の子どもたちの現状とユニセフの支援活動の意義を訴えつづけました。
世界の注目を集めることができる、自らの<声>を使って——。
オードリー・ヘップバーン 親善大使 ~子どもって、本当に素晴らしい存在 /日本ユニセフ協会
オードリー・ヘップバーンは同作でアカデミー主演女優賞を受賞し、オスカー女優の仲間入りを果たしました。公開から70年ほど経った今なお、世界中の映画ファンから愛される作品となっています。
<監督:ヘレナ・コーンからのコメント>
私がこの映画を作りたかったのは、オードリーは英雄だと思ったからです。
当然のことですが、彼女はその美しさやファッションによって記憶されています。
しかしまだ深く堀り下げられていないオードリーの別の一面があります。
彼女は人生における大きな悲劇やトラウマを抱えていましたが、
常にそれをより良いものへ、そしてより美しいものへと変えることができました。
彼女は恐怖や憎しみに溢れる世界で愛の重要性のために立ち上がり、今でも何らかの形で戦い続けています。
そして自分に何があっても愛することを止めず、寛容な心を持つことができたのです。
私にとってそれは、一人の人間が成し得る中で最も英雄的なことなのです。
私たちは人生で経験する喪失感や痛みによって作られるのではなく、
私たちがそれを許した時、それらによって成長し、活躍することができるのだという生きた証こそがオードリーなのです。
映画「オードリー・ヘプバーン」予告編(監督:ヘレナ・コーン )
現地でのユニセフの緊急支援活動を視察したオードリーは、その後の数週間、精力的に米国、カナダ、欧州のメディアによるインタビューを受けます。
その数は、ときに1日15件にも及びました。